ジェンダーttm

土曜日に大学時代のゼミ仲間で忘年会。
今年10年ぐらいぶりに再会した、ゼミのチューターさんが
みんなの書いた卒論の本を持ってきてくれた。
書いたのが22歳の頃だから、10年以上経つんだけど


その頃私はジェンダーttmっていう、まるでリングネームのような
称号?を、ゼミ仲間から与えられていました。
大学に入って、「性別って社会的に作られるものなのよ」
という考え方に初めて触れて、衝撃を受けた。
「女“でも”がんばれ、オトコに負けるな」って
言われて育った感覚があって、
それが心地よいような、腹立たしいような矛盾した感覚を抱いて
それを客観的に捉えたかったからか、
社会的性差について、本を読んだりして
で、卒論もそれで書いたんだよ。


10年以上経って、自分の過去の文章を少し読むと
もう、何だか全く理解できなかった。
「いかに色っぽくあるべきか?
彼にとって、いかにイイ女になれるんだろうか」
なんて、多分あの頃の私とは対極にある考えだと思う。
ごくごく自然に、それを楽しんでいるんだけどな。
不思議。あの頃も付き合っていたヒト居たんだけど
一体、その人にどういう態度を取っていたんだろう?
ジェンダーttmを掲げていた自分が、
それと矛盾する恋愛生活を
送っていたとすると、それもとても不思議。


ちょっとずつ、崩れて行ったのかなぁ、ジェンダーttmさんは。
化粧品会社なんて言ったら、、
やっぱり女性的な美しさを追求する職場なんだしねぇ。
今はお茶くみだけど、これ、性に合ってると思うけど
大学出たてだったら、即却下だろうし。
状況状況によって、変化していくんだね、きっと。


今は「女の子は概してこういうものだ!」て、
彼に闘いを挑んで
「『自分が』どうか、でしょ!?」って反論される。
概して、しかも性別に拠って性格を結論づける議論なんて
やっぱり「ジェンダーttm」からは、ありえない帰結だ。
でも、闘いを挑む性質は、あまり変わって無いのかな??


なんか、久しぶりのタイムマシンの向こうの自分は
とても不思議だったけど、
今の自分の持ってる頑なさを、少しユルユルしてくれたかも。